自分の頭で考えることと孤独
アニキも「宮台や小室直樹はともかく橋本治はマトモ」といい、母は「橋本治以外の本は全部捨てろ」といい、なんとなく橋本治のマトモさは家族に認められている。
私も橋本治のマトモさに感心する口なのだが、80年代と違い、私の身の回りに橋本治を知る人はいない、忘れられた人である。
あれだけ書いて、忘れられて、どうして正気が保てるのか不思議だった。
内田 結局孤立できる人間、独りでもぜんぜん平気な人っていうのは、家庭がすごくあったかかった人が多いんじゃないですか。
橋本 僕は家庭じゃないですよ。やっぱり家庭の外ですよ。うちの母親怒ってばかりいたから、家にいるといちばん落ちつかないんですよ。 橋本治と内田樹
ところで、「宗教なんかこわくない!」(橋本治)のテーマは自分の頭で考えることだが、私は「自分の頭で考えること」は「自分の論理を作ること」だと思っている。
論理は、原因と結果、AならばBである(確率が高い)ことを導きだすこと。また、自分の経験からAとBの因果関係を見つけ出すことが重要である。
人の経験してきたことは違うから、Aが起こったときBが起こる確率は人によって違う。人によってはAならXかもしれない。
そして、これまではAのときBが起こる確率が高かったが、Cになる確率がだんだん高まって、いずれAのときCになるという因果関係になるかもしれない。
どの時点でAからBをAからCになると判断するかは人によって違う。またCになるのは、ただの気のせいかもしれないし。
そんなこんなで人の論理は人によって違う。大事なのは論理の違う人が協力しあうことができることである。
他人のいうこととは関係なく、自分の意見を持って、"自分だけの世界"に閉じこもれば、当然孤独が待っている。
宗教なんて怖くない!
私は孤独でない。一日に2度は母に電話して(←脳腫瘍になる〜)、週末に実家に帰ると犬の散歩に母と行く。
このへんアニキのほうが自立している。
内田 子どもってまったく非力じゃないですか。目を合わせてくれる人を探しますよね。
探して、そんなにたいしたことして欲しいわけじゃない。
ちょっとしたことで、子どもなんてものすごく満足できる。よしよしって、なでられるくらいで。
橋本 それ以前に、ただ立ってて、相手の人が「どうしたの?なあに?」って言ってくれるまでの瞬間でいいんですよね。
「なあに?」って言ってくれりゃそれだけで嬉しいんですよ。
「なあに?」って言われて、「……(サッ)」って逃げちゃう子っているじゃないですか(笑)それだけでいいと思うんですよ 橋本治と内田樹
昨日はちょっと凹んでた。私はあなた(の意見)に興味があるとシグナルを送り、向こうもそれを知っている節はある。
それで、自分は孤独だ、なんだもんさー。
アピールしないどころか、私の意見のほとんどは、「何を言っているのかよく分からない」ようなものだ。
私はそれでいいと思っている。"他人の意見"などというものはいつだってよく分からないものだ。
よく分からないものに対し、耳を澄まし目を凝らして、そのよく分からない"他人の意見"の中から、自分に必要な情報を拾えばいい。
それこそが、自分自身という物語を作るためのディデールだ。 浮上せよと活字は言う
…慰めているつもりらしいけど、簡単に割り切れることなら苦しんでないだろうし、リンクは張らない。
あと、スルーしたことについては、またいつか書きます。平常心を保てる橋本のほうがおかしいかも。
橋本治と内田樹 筑摩書房 2008
浮上せよと活字は言う 橋本治 平凡社 2002
宗教なんて怖くない! 橋本治 マドラ出版 1995