友愛と共産主義

「ありがとうなんていわないでくれ。お前からそんなことを言ってもらう資格はない。僕はあろうことかお前を呪った人間までも助けようとしていたのだから」

化物語10話の締めです。結局呪いは呪った相手に返すことになって、たぶん相手は死んだんじゃないかな。

主人公は妙にネガティブになっていましたが、できる限りにおいて助けようとするのは人情です(きっぱり)

助けには限りがありますが。助けを諦めて受け入れるしかないことが私にとっての原罪です。

恥じる気持ちを忘れたくないですが、かといって皆を助けられないことを責めるやつは人間の屑だと思います。できないことはできない。(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20081214/t

(ホントの原罪?→http://d.hatena.ne.jp/akizu/20090419/t

そんなこんなで思い出したのが友愛です。

その一つのテーマが友愛(fraternity)ということで、ドラマの「つばさ」や藤原和博さんの言葉でいえば「つながること」。しかし、ネットの思いのつながりかた、そういう心の友愛みたいなものはなんだろう、と。

それは、もう一つの対極的な意識としては、いかに正義を排するかということです。友愛は実際には結社の原理であり、正義イデオロギーも結社の原理ですが、後者は友愛の人をどこかで道具化してしまう。(中略)

話を歴史的な意味での友愛(fraternity)にもどすと、これは直接的な形では人類愛や博愛にはつながりません。日本ではこの言葉の伝統がないため、fraternityは「博愛」と訳されることがありますが、結社の原理とは異なるものです。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090916/1253060287

finalventさんの意図とは異なると思いますが、人が幸せになれらいいのにな、と他人のことを思いやってつながろうとする気持ちは、論理化されないとつまらねーと思います。

そこで、橋本治

共産主義っていうのはね、簡単なんだ。前に「好きだからあげる」って広告のコピーがあったけど、これが共産主義ね。(中略)

十人の子に百円玉を十個出して「みんなで分けなさい」と言われた時に、「オレ、別に百円なんていらないから、欲しいやつはオレの分持ってってもいいよ。欲しくなったらオレ、別のときにもらうから」で済んでいるのが、共産主義のリッチ。

共産主義の配分基準は"平等"じゃないんだ。これは"必要に応じて”。           広告批評橋本治

私、宗教の収入の10%寄付のシステムはすげーと思っているのです。

強制的だと気に食わないけど、実際のところ、収入300万で10%くらいなら、無理なく続けられる。(やってねーけど)

「必要に応じて」できたらいいんですけどね。

…ちょっと思いつきを書いてみただけです。

広告批評橋本治 橋本治 マドラ出版 1995