橋本治と内田樹の違い

「疲れすぎて眠れぬ夜のために」(内田樹)の「価値観が狂うというのは一生癒えない傷ですから」とか名言です。

橋本治なら、一生癒えない傷がどんな影響をもたらすのか、解説してくれるかな。

橋本治内田樹の違いを考えると、似ているようで違うんだけど、上手く説明できない。

双方とも、自分の身近なところから論を作るところは同じ、自分の得た人生が起点になる思想(オリジナルって事だね)の弱点もかかえこんでいて、当たりも多いが、読んで、自分の人生の得た教訓とそれは違うといいやすいところがある。

橋本は世間に流通する古くさいお題目の理由を説明することが多い(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20090430/t)のに対して、内田のほうは世間に流通する言説をひっくり返し、自分の思いつきを書くことが多いような気がする。

(わたしが橋本のほうが好きというだけです。)

売春というのは厳密には「身体」を売るのではなく、「身体を売るような人間である」という社会的評価を受ける代償に金を受け取るということです。

みんな勘違いしているけれど、売春する男というのは、身体的快楽のために金を払うのではありません。

「この女は金で身体を売るような人間だ」という人間を貶めることのできる立場を得るために金を払っているのです。            (疲れすぎて眠れぬ夜のために)

今まで日の当たらなかった視点からの照射は気持ちがいい。

「勘違い」で反論が封じられるわけでもなく、いくらでも反証でき、主流の意見にはならないかもしれないが、そういう見方も成り立つ。

ただし、内田樹のいうことを採用したほうが、一生癒えない傷を負うかもしれない可能性が低くなるし、ま、いいかな、と。

しかし、内田の狭い行動範囲(所詮ひとりが一回の人生で動ける範囲は決まってます)で気軽に出した考えが、わたしのフィールドワークであった場合、あなたの人生で得た答えを、「勘違い」と世間の真実風に言うのはやめてくれ〜と思い、反発を食らうのはわかる。

ちゃんと自分の人生においてと注釈がついていてたけど、その自分性を世間一般に流通できるようにもっともらしく、加工しているんだよね。

あんまり知らない人が読むと、内田説を否定できる材料を見つけることができないので余計あせる。

たしかに揚げ足取られないように注意して書かれたのはわかるんだけど、その引用した人は内田先生の思想を補強しない、それどころか反対になるかもしれないことを別のところで言ってるんです。

隠れキリシタンは面と向かって反論できないわけですが。