いつか偏見をひっくり返せる日がくるか

ま〜人間好きにできないことがあります。同性愛者だったり、ロリだったり、快楽殺人者だったり、精神病にかかったり。

世間で白目で見られる性質が自分に備わっている。知られる前と知られた後で、何一つ変わっていないのに、以前と同じ付き合いはされない。

宮部みゆきブレイブ・ストーリーの蛙のラスボスに向き合うところで、主人公、結構酷な論理を使うな、と思いました。

主人公は最初に蛙が正体を明かしていれば、協力できたかもしれないのに、と言いましたが、今まで(多分)蛙を偏見の目で見なかった人はいない。

何もしていない自分がいきなり、信頼されて秘密を打ち明けられるわけがないじゃないか。

旅の途中で、信頼されて、打ち明け話がある、というのがセオリーだったかもしれませんが、友達だったら、秘密を抱えて煩悶している気持ちを汲んでくれてもいいじゃん。

確かに蛙は腹に一物あるように書かれておりましたが、秘密を明かさなかったことを引導の文句にされたくはない。(以上あやふやな思い出し書き。)

ところで、皆様、経済関係の話、インタゲがどうのこうのとお分かりになられるでしょうか。私は全然分かりません。

経済活動のそれにどんな法則性があるのか、あるのかないのか分かりません。中身の検討は難しいものだと思います。

自分でワインに詳しくなるのでなくて、ワインに詳しい人を見つける目を見つけるべきだって話です。

人を動かすには結局信じている人がどれだけもつか、であると思います。

そして、信じている人が言うことがいままでの常識でなくても、信じている人の言うからその人の発言が受けいられることになる。

人の属性についても、今までいかがわしいと思われたことが、立派な人、普通の人の属性と知られることで、普通のこととして受け入れられるが繰る可能性がある…かも。

もちろん、自分が属性を明らかにしたことで、偏見の目で見られる危険性はあります。

また、隠していたら不通の人生が遅れるのに、わざわざ偏見の目で言われることを言うのも、物好きな人です。

偏見の目がひっくりかえせると思う厚顔さが排斥されることもあるかもしれません。

世の中、ブレイブ・ストーリーと違い、告白したことで得る不利益のほうが利益の法が多い、秘密を明らかにすることは馬鹿な生き方だと思います。

しかし、自分の言うこと、自分の属性を、いつか他の人を納得させるように提出して、世の偏見を薄れさせたい、その野望がある人がいなければ、世の中変わっていきません。

リスクを追求する生き方は尊敬できます。

なぜ新宿2丁目のほがらかな人のジョージさんが、わざわざカミングアウトしたのか、非常に興味があります。