あなたは寂しいんですねと言われてうなづかずにいられるか

他人のいうこととは関係なく、自分の意見を持って“自分だけの世界”に閉じこもれば、当然孤独が待っている。(中略)
日本人は孤独に弱い。ものを考える人間は特に。だから“自分の頭でものを考える”は、すぐに“救済を求める”に行ってしまう。
       宗教なんかこわくない! 橋本治

昨日の日記の、「孤独」という言葉が引っかかっていて(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20090323/t)、頭の中を検索するとこんな言葉が出てきました。

私は、それが事実であると思っているわけではないが、自分でいろいろな事実と事実を結びつけ、AならばBである、という論理を作るのは楽しい。(『着想』ですな)

しかし、他人に共有されることを前提としていない思い付きは時に寂しくなる。

山田玲司は自分力全開の自分だけの世界に浸って寂しくならないのかしらん。浸って寂しくないといえるのなら、それもひとつの才能ではないか。

浸りっぱなしの一人では生きて行けない、他人とのふれあいの時間は生きている限りなくならない、のに考える余地があるかな。

昨日の日記中の引っかかりその2として、私の友達の定義「困ったときに助け合える」と、山田の定義の「深い心のやり取り」は違うことがある。

この関係の定義の違いが、友達に対する態度の違いと結びつくのだろうか、考え中。

ちなみに、「宗教なんかこわくない!」には、この後「自分の頭で考える」ことと「信じる」ことが対比される文章があります。

私は“愛情”というものにピンと来ない人間が宗教に入るんだと、勝手に思っている。

だから当然、「私のところはあんな事件なんか起こさない、私のところにはちゃんと“愛情”がある」と言いたがる、他の宗教教団はいくらでもあるだろうな、と私は思う。

「あなたは寂しいんですね」と言われると9割の人は、はいと言うと聞いたことがある。
どの程度の信憑性があるのか知りたい。