機械的な判断
ガッチャマンクラウズ最後まで見た。
はじめちゃんは、他人を見ている子として、造形されているのね。さてさて。
で、ログ・ホライズン6で、ソウジロウが機械的な判断しかしない部分があることをナズナさんが憂いていたのがずっと引っかかっている。
人によって対応を変える。
その人の過去からの蓄積に寄って対応を変える。
まだ見ぬ人の可能性に対して対応を変える。
うーん、こういう人ならこういう対応をする。
と、同じ人はおらず、対応のパターンが限られるというのは、人をパターン処理しているからだろうし、かといって逐一、人によって対応を変えるのも大変だし。
人によってなんとなく次の行動を読まれている程度には(意外性もあるけど)、機械的な判断をしていると言っていいだろうが。
いろんな要素があるときに、あるひとつの要素に食いついて、他が目に入らなくなるのは機械的かな?
というと、やっぱり自分のルールを優先して、対応に柔軟性がないのも機械的か?
柔軟性のないことのどこが悪いのか?
というと、目先の利益を追わないことも柔軟性がないことになるし。
水清ければ魚棲まず、か?
機械的な判断の部分が全くないのも人としてありえない、程度の問題で、マイルールというか、生き様を貫き通すには何が必要なんだろう。
結論が出なかったのでおまけ:
ギブアンドテイクとして、ギブの5乗を先に与えるというのは分かる。
普通の人としては、持ち出しが嫌なので、先に与えられたら、礼を返すぐらいなら応じないでもないだろう、みたく。
(追記)
はてなQ 友達と仲良くできる方法を教えてください。
そんなものないよ。
生き様に共感するかだけだよ。生き様のないところに友情なんてないよ。
ひとびとの跫音〈上〉
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そう言われたら、納得できるものですね。
対応を考えるのでなく
孤独
最近、一日にうちに来るユーザーが10人を超えたので、フッ、文章が少し調子に乗っているのはかんべんしてくだせ―
ベントさんの日記に
で、私という人間は、精神の根幹は、救いようもないほど孤独です。自分でいうのもなんだけど。実生活や職業など社会面では自分というものを出さないです。これは、子供の頃からずっと。
ネットの世界が出来るようになって、あれ?という感じはして、人生は変わった。単純な話私が文学的こと哲学的なことに関心を持つことすら誰も知らないし、そういうのに関心を共有できる他者いるとも思っていなかった。しかし、そうでもないんだな、世界って広いものだな、と。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050122/1106387974
私も考えていることは、表に出しません。
みんな似たことを考えているんだろうとは思うが、なんとなく勇気がない。
皆が受け入れられそうなことしか言わない。
小学校の時いじめられて、空気を読むことを覚えたんだが、というところで、
でも、関心を共有できる他者はいたんだなー
(時間を超えて良い価値観=倫理で小林秀雄か)
話はしないけど、話しかけたら応えて貰えそうな気がする。
へろったことも抱え込んでいるから心に負担になって、書いたらスッキリである。
一人でぐちゃぐちゃ考えていても、行動に直結することもなし、ただの遊びである。役に立たない。
新用法での煮詰まる感じもするけど、夜寝る前でもなければ、考えても1時間で飽きるし。
ストレングス・ファインダーで、着想が出て、頭のなかのこれとあれが繋がっているのではないか、と考えるのラブ。
ただ、大学時代はずっと考え続けて、ぶっ倒れたので、今の考えつくことが主な仕事でないのは合っているんだろうなと思う。
地道に人と話して、視野が狭くなっているのを広げる。現場は一時情報源なんだぞ♪(色々あるけど楽しい)