しかし、昭和二十年九月三十日の高見順の日記は、若いポーランド人にとって無縁の話ではなかったのである。 昨日の新聞が発禁になったが、マッカーサー司令部がその発禁に対して解除命令を出した。 そうして新聞並びに言論の自由に対する新措置の指令を下し…
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