自分の価値観を求め始める時期

絶対的に正しいことを考えている。

人の命より重いものはないか。

と言いつつ、現代人は命の価値について、老婆より未来のある若者のほうが重いって、中々否定できるものではないよなというか、

人命は地球より重いかとか、

英雄的人物が死んだらあとは仲間割れを起こすのか、テロの否定は難しいのか、

まあこれはいつかのお題に取っておくとして、

何より大事なものは人によって違う。

それを強制的に回りが何を犠牲にしても実行するとしたときの判断の重さとか、

と、今、求人倍率が高いのは首相のおかげではなくて少子化のせいという人もいますが、

高知県、2008年まで、求人倍率が全国的に高くなっているときにピクリともしていなかった底辺這ってました、というか、

ある要素が強いとして、本当に良い状態に持っていけるかって別問題ですよ。

なお、知事が改革家の橋本さんの時だったんですが。

それは兄貴の橋本首相が消費増税をして景気回復の芽をつぶしたように、判断一つですべてをお釈迦にする選択肢も同時に持ってるっすよ。あやまてる道を実行しないのは偉いというか。

それ的ネタで言うと、伊方原発が8月15日に再稼働して、3月決算で20億のプラス。半年でとすると、1年で40億?

日本に原発が54基とするとフル稼働で1年で2000億のプラスか。

一発吹っ飛ぶと1兆円か。一基だけならまだしもとなるか。

火力発電で原材料買って円安になると製造業は喜ぶのかなー

とか、いろいろ考えて、果たして割りに合うのか、

と、反原発に共感がないわけじゃないけど、比較するのに説得する数字を持ってこないんすよねー

あ、今の計算、素養がない自分がやっているので、当てにならんすよ、と。


何と何を比較するのか。周りが幸せそうで、自分だけ不幸せか?

周りを羨ましく思うかって、羨ましく思ってそれでねたむだけなのか?

起きていることはすべて正しい、なのよね、秋津のモットーは。

現状を否定しようとは思わないが、それでも良い状態になることは信じる。

努力を続けることができる。

というか心の持ちようって雰囲気出るし、周りがちょっと手助けしようと思うか、

小さなプラスでも人が多ければ大きなプラスになるというか?

でも、自分の心持を変えるって面倒くさいし、それこそ体力のいることだし、自分を否定してまで周りによく思われようとは思わないというか、

自分の価値観で生きるのも悪くないとも思うんす。

どうせ最後は死ぬっす。(って「人生を半分降りる」って良いな)

明日死ぬとわかっていて、自分がどうしたいのか、って極端すぎだろと私は好きではない派ですが、

でもそこもわかってるからこそ、義道さんは50になってからこそ、最後が見え始めてからこその好き勝手に生きろだと思うし。

生きるは苦しい。苦しくない人はいない。たまに良いこともあるし、たまにの良さで何とか続く。

でも逆に言えば、50までは周りに合わせる必要もあるし、どうせ周りに合わせるのなら周りに感謝したほうが気持ちいいよね


って、なんだか説教くさくなったので、今日はここまでっす。