竹内好 ある方法の伝記

竹内好――ある方法の伝記 (岩波現代文庫)

竹内好――ある方法の伝記 (岩波現代文庫)

竹内好って大東亜共栄圏(だったけな)で近代の超克な座談会な人ではなかったか←あいまい

しかし、自分の関係する中国雑誌は共栄圏賛成の大会に出さなかったりとなかなか複雑なお人柄らしい。

戦争という訳分からんものに巻き込まれて、それでもその賛成文を戦後本に載せたり、一本筋の通った人で、

著者が引用する竹内の言葉は、現在に生きる私にとっても新鮮だった。


日本による中国の占領と、米国の日本占領を同一線上に見る視点なんてなかったな〜

中国の抗日戦線とアメリカさんありがとうの差は一体どこから生じたのだろう?

と、出だしで掴まれた。


竹内は東大卒業後、中日戦争中の北京に留学するが、日本人の中国人に対するむごい態度から日本人と話すのに屈辱をしいた。

私の心に残ったのが、竹内が戦後つづった文章、中国人の友人と留学中に時局について一言も話さなかったのは、今思うと不遜であったこと、、、なぜそれが不遜になるのか、日本人が気付かなかったし、今も気づいていない文化に対する理解の浅さ、ってうまく書き抜きできないのだが。

ちなみに、竹内は中国文学研究会の中心で、この会は「中国」であり、「支那」ではないにもかかわらず、大東亜戦争では賛成派となる。

つよくゆたかなアメリカに対してはゆずりながら、弱く貧しい中国に対しては強気に出てそこから利権を奪うという大正以来の日本国の流儀に対して嫌悪の感じを持っていたのが、米英蘭に立ち向かう姿勢をとったことに対して一挙に賛成の立場となる。

この大東亜戦争賛成の宣言は結構念がこもっていて、近隣諸国解放に燃える感じが私は好きだな。32にもなって現実が見えてないと思えるのは現代からの視点で、青臭さが好ましい。戦争なんですけどね。


太宰治の「惜別」は竹内の「魯迅」を参考にしたと後書きにあるが、竹内からすると「惜別」には中国人の日本人に対する憎悪が表れていないので誤読と批判する。

しかし著者は、太宰の誤読から、魯迅の阿Qが書かれなかった可能性を見いだせるとする荒井健の論文を引いている。


戦後、1960年代、東京から見ると沖縄は日本の外れだが、中国から見ると米軍基地から日本は沖縄に隠れてみえると竹内は言った。


著者は3分の2書いたところで脳卒中にあい口述でこの本を続けたそうで、戦後編は戦前変に比べるとちょっと泡が抜けていたが、読んだことのない考えがここそこに書かれていた。

小熊英二の「民主と愛国」を読んでマップを作ってから、竹内の著作や鶴見の著作を漁っても面白いかも。