等価交換

ここ最近の記事は続き物だったんだぞ〜気づいてくれた〜

と誰とはなく書いてみる、題を見ればわかるんすが、次のネタは取りまとめ編にしようかと思ったら、作業になるので面倒くさいと、閑話休題入れてみる。


で、自分語り。

私、小学校の時から、この時が終わるのが怖かったんすよね。

小6の時は今を逃したくないのでアニメを毎話録画していた。見もしないのに。

中学校の時はこのままではだめなのにと思いつつ、のんきに過ごして成績はクラスでびりから二番目、中3の3学期、放課後に教室に置かれた蛍雪時代の大学の入試情報の分厚い冊子を見て、このままだと大学に行けない、就職できないと思って、高校に入ってからは授業中に寝る時間を減らし、テスト週間は毎日2時間勉強する習慣をつけたら、クラスで上40%ぐらいの位置かな?(高3スパート組です)

大人になるというのがすごく怖くて、かといって何もしなかったんだけど、この日常が永遠に続くといいなと思っていたけど、そんなわけないという焦りがずっとありました。

80年代生まれ的には、終わらない日常と、しんちゃんが言い始めたときに育っているけど、そんな続くものと思う環境になかった田舎でした。

大人になったら辛いことばっかりのような気がしていたけど、いざなってみると、会社はアソシエーションで、仕事さえできたら必要以上に自分を作らなくて済むので楽ですねと、会社バージョンの人格がいまだにできていない気がする私です。

前回、休学中、鬱々とする前に就職が決まったって、就職の面接前日から、バイトを始めたぐらい、受かるとは思っていなかったというか、次に向かって動き始めてはいた。就職が決まって大学復帰した。

内発性駆動系です。

会社でオーバーワーク気味になることもあったりして、やめるにやめれないって、仕事は辛いけど楽しいし。

楽しくなかったら転職はしているぐらいには、現実を変えることには執着があると思う。

足るを知るとは言わないが、満足な状況にするにはどうしたらいいか、試行錯誤するのが超楽しい。

何に満足するのではなく、満足するように考える、動く。

不条理の存在は病気をして知っているけど、動けないことに対する想像力はないよね、結局満足する状況になっているわけだし。

あ、次々回のネタに入りつつある。

不条理を知っているので、努力して報われるとは思っていない。

というか、finalventさんは、日本人はこの行動ならこのぐらいの結果だと妥当な線を考えて神様と取引をしている、収支が合わなくなって目の色を変えているのが宗教の人だというようなことを言っているような、

等価交換の法則について。

何と何が等価交換か、常識を踏まえていないと騙される一方で、知って、法則をショートカットするというか、出し抜くのを考えるのが、商売をすることだと思っている。

絶対の等価交換なんてない。不条理を知っているので、道理ではない良いことも起こる世の中であることも分かる。

一寸先は闇か光かワクワクする。変わらない日常なんてない。無駄に楽観的だな。

絶対的に受けいれられないことが起こったらそれも人生。

満足不満足の感情が制御できないのなら、のた打ち回るのが正しい。

時が癒してくれるか、ずっと苦しむのか、楽になりたいと祈りつつ、じっと耐えるしか方法もないときもあると、頭でわかって体験したら嫌なこの苦しみは私だけのものである。

ちゃんと向き合えるなら一人だけの人生、特別感かな。誰の代わりもない。満足と言わず、強烈な感情は天恵である。そんな人生もある一寸先の私。